視察レポート
おおいた~歴史と文化、自然を体感する教育旅行のプログラム~(2025年5月号掲載)
2025-05-05
豊後高田市
今に残る荘園の景観/田染荘小崎地区
豊後高田市の中山間部に田染荘(たしぶのしょう)小崎(おさき)という地区がある。ここは、宇佐(うさ)神宮を領主とする田染荘があったところで、水田や集落の位置など中世荘園の景観がほぼ当時のまま残されている。
田染荘の啓発施設「ほたるの館」の前、道路を隔てて広がる荘園跡を眺めると、曲線を描く畔で小さく区切られた水田が並び、左手には雨引社(あまびきしゃ)の鳥居が見える。これらの水田ではかつて天水を利用した稲作が行われ、雨引社は水の守り神として信仰を集めたという。右手にある、荘園を管理した荘官(しょうかん)の屋敷跡も確認できた。時間に余裕があるなら、ぜひガイドさんの案内で荘園跡を歩いてほしい。
絵図で想像するしかない荘園の景観を、ここでは実際に目にすることができる。歴史学習の貴重な教材であるとともに、それがなぜ今日まで保たれてきたのかという点についても、自然環境の保全に係る課題として生徒たちに考えさせたい。
▼千年前の荘園の風景を眺めることができたのは、貴重な体験だった。荘園の田の形状やサイズが現代のものと大きく異なる点について、中高生に考えさせることは非常に有意義だと思う。田の高低差を視覚的に理解することができ、また荘官の屋敷跡を確認することを通して、荘園の構造を立体的に捉えることができた。
人気の「農泊」/国東半島での農泊体験
教育旅行での「農泊」(農山漁村民泊)受入発祥の地とされる大分には、農業体験をはじめ様々なプログラムが体験できる受入地域がある。今回は、国東(くにさき)半島の安部自然農園「山帰来(さんきらい)」を訪問し、お話を伺った。
安部さん宅では、有機無農薬栽培で野菜と米を作っていて、受け入れた生徒と一緒に作る食事の食材は、ほとんどがそれで賄われているという。体験プログラムは、四季折々の農業体験が中心だが、ご主人が元高校の美術の先生だけあって、廃材を使った楽器作りやカズラ細工などの体験もできる。晴れた夜の星空観察も都会ではできない体験だ。入浴は、近くの温泉施設を利用するというのも大分県の「農泊」ならではのこと。イノシシやシカなどによる作物被害など、最近の農業事情についての話も聴くことができた。
「農泊」は受入家庭の方々と交流し、自分とは異なる価値観に接することが最大のねらいだが、食の大切さを体感する、第一次産業が抱えている課題に直接触れてその解決策を考える、といった幅広い学びも期待できる。大きな学習効果が望める体験活動としておすすめしたい。
▼野菜を収穫して消費者に届けるまでのプロセスの体験は、中高生が自らパッキングし、豊後高田のスーパーへ持ち込み、価格設定まで考えるという。これにより、日常生活で利用するスーパーの野菜が、店頭にどのように並ぶかについても学ぶことができ、有意義な体験になるだろう。
安部さん宅では、有機無農薬栽培で野菜と米を作っていて、受け入れた生徒と一緒に作る食事の食材は、ほとんどがそれで賄われているという。体験プログラムは、四季折々の農業体験が中心だが、ご主人が元高校の美術の先生だけあって、廃材を使った楽器作りやカズラ細工などの体験もできる。晴れた夜の星空観察も都会ではできない体験だ。入浴は、近くの温泉施設を利用するというのも大分県の「農泊」ならではのこと。イノシシやシカなどによる作物被害など、最近の農業事情についての話も聴くことができた。
「農泊」は受入家庭の方々と交流し、自分とは異なる価値観に接することが最大のねらいだが、食の大切さを体感する、第一次産業が抱えている課題に直接触れてその解決策を考える、といった幅広い学びも期待できる。大きな学習効果が望める体験活動としておすすめしたい。
▼野菜を収穫して消費者に届けるまでのプロセスの体験は、中高生が自らパッキングし、豊後高田のスーパーへ持ち込み、価格設定まで考えるという。これにより、日常生活で利用するスーパーの野菜が、店頭にどのように並ぶかについても学ぶことができ、有意義な体験になるだろう。
宇佐市
戦争を多角的に学ぶ/宇佐海軍航空隊跡
宇佐海軍航空隊が開隊されたのは昭和一四(1939)年のこと。当初は艦上機の搭乗員を養成する練習航空隊だったが、戦況の悪化に伴って特攻隊が編成され、多くの若者が隊員として出撃していった。ここには現在も戦争遺跡・遺構が多数残されていて、「宇佐(うさ)空(くう)の郷(さと)」を拠点にそれらを巡る平和学習のプログラムがつくられている。
「宇佐空の郷」で航空隊の概要を学んだあと、まっすぐに伸びる県道を通って城井(じょうい)一号掩体壕(えんたいごう)に向かう。この県道は航空隊の滑走路跡で、沿道に並べられたモニュメントは出撃する飛行機を見送る人々をイメージしているという。掩体壕は、軍用機を空襲から守るための格納庫で、航空隊跡周辺のあちこちにあり、それらの多くが農機具などを入れる倉庫として利用されている。戦後80年たってもこれほど多くの掩体壕が残っていることに、生徒たちは驚くだろう。
城井一号掩体壕の中には、国東半島沖で引き上げられたゼロ戦のプロペラが置かれ、整備された史跡公園内には、ここから出撃した特攻隊員の名を刻んだ碑が建てられている。彼らが、なぜ若い命を散らさなければならなかったのか、生徒に考えてほしい。そのほか、米軍のB29爆撃機が投下した爆弾によってできた爆弾池や落下傘整備所、発動機試運転場などの建物遺構も見学することができる。
航空隊跡から少し離れたところに「宇佐市平和資料館」がある。ここには、ゼロ戦と人間爆弾「桜花」の原寸大模型が展示されているほか、宇佐海軍航空隊や特攻隊などについても紹介されているのでぜひ見学しておきたい。
ここに航空隊の施設があったことで、周辺の町村や住民にも空襲による大きな被害があったという。戦争をトータルにとらえることは難しいが、広島・長崎や沖縄だけでなく、生徒たちには宇佐のような「戦争遺跡」からも戦争を多角的にとらえる視点を持ってほしい。
▼滑走路跡を車で走り抜けた体験は特に印象深かった。城井一号掩体壕跡では、内部を見学することで、学徒勤労動員などの労働力で造られた部分が簡素であることがわかった。人間爆弾「桜花」の模型も見学したが、宇佐から「桜花」の出撃がなかったことも学んだ。
宇佐海軍航空隊が開隊されたのは昭和一四(1939)年のこと。当初は艦上機の搭乗員を養成する練習航空隊だったが、戦況の悪化に伴って特攻隊が編成され、多くの若者が隊員として出撃していった。ここには現在も戦争遺跡・遺構が多数残されていて、「宇佐(うさ)空(くう)の郷(さと)」を拠点にそれらを巡る平和学習のプログラムがつくられている。
「宇佐空の郷」で航空隊の概要を学んだあと、まっすぐに伸びる県道を通って城井(じょうい)一号掩体壕(えんたいごう)に向かう。この県道は航空隊の滑走路跡で、沿道に並べられたモニュメントは出撃する飛行機を見送る人々をイメージしているという。掩体壕は、軍用機を空襲から守るための格納庫で、航空隊跡周辺のあちこちにあり、それらの多くが農機具などを入れる倉庫として利用されている。戦後80年たってもこれほど多くの掩体壕が残っていることに、生徒たちは驚くだろう。
城井一号掩体壕の中には、国東半島沖で引き上げられたゼロ戦のプロペラが置かれ、整備された史跡公園内には、ここから出撃した特攻隊員の名を刻んだ碑が建てられている。彼らが、なぜ若い命を散らさなければならなかったのか、生徒に考えてほしい。そのほか、米軍のB29爆撃機が投下した爆弾によってできた爆弾池や落下傘整備所、発動機試運転場などの建物遺構も見学することができる。
航空隊跡から少し離れたところに「宇佐市平和資料館」がある。ここには、ゼロ戦と人間爆弾「桜花」の原寸大模型が展示されているほか、宇佐海軍航空隊や特攻隊などについても紹介されているのでぜひ見学しておきたい。
ここに航空隊の施設があったことで、周辺の町村や住民にも空襲による大きな被害があったという。戦争をトータルにとらえることは難しいが、広島・長崎や沖縄だけでなく、生徒たちには宇佐のような「戦争遺跡」からも戦争を多角的にとらえる視点を持ってほしい。
▼滑走路跡を車で走り抜けた体験は特に印象深かった。城井一号掩体壕跡では、内部を見学することで、学徒勤労動員などの労働力で造られた部分が簡素であることがわかった。人間爆弾「桜花」の模型も見学したが、宇佐から「桜花」の出撃がなかったことも学んだ。
全国八幡社の総本宮/宇佐神宮
今年、鎮座1300年を迎える宇佐神宮は、全国に4万社以上もあるという八幡社の総本宮だ。
国宝の本殿は、イチイガシやクスノキなどの杜に覆われた広大な境内の南奥、勅使(ちょくし)門の内にある。間近に見ることはできないが、江戸時代末期の建築で、三棟の御殿が横に並ぶ古い形式を伝えている。境内西参道の脇には、明治時代の神仏分離によって廃された弥勒寺の跡があり、いくつかの礎石が残されている。宇佐神宮が、神仏習合の発祥とされる由縁の遺構としてぜひ見ておきたい。その先の寄藻川(よりもがわ)に架かる呉橋(くれはし)は、中国呉(ご)の国の人が架けたとされる檜皮葺の屋根がついた立派な橋で一見の価値がある。境内にはほかにも見どころが多く、有料だがガイドさんに案内してもらうことをおすすめしたい。
宇佐神宮が、田染荘を含む豊後国最大の荘園領主であり、道鏡事件が示すように、託宣する神として朝廷とも深い関係をもっていたことなど、実際に現地を訪れることで、歴史における宇佐神宮の重要性を生徒も実感するだろう。また、八幡神は「武神」としても崇められていて、宇佐海軍航空隊から特攻に向かう兵士たちが「武運長久」を祈願しに訪れたことは、航空隊跡での平和学習と関連付けてとらえさせることもできそうだ。
▼日本史の授業で道鏡と和気(わけの)清麻呂(きよまろ)について学んだなら、宇佐八幡神託事件を知らない生徒はいない。広大な敷地を歩きながら、田染荘も宇佐神宮の荘園であったことを思い返すことで、この神宮がいかに権威ある存在であったかを再認識することができる。
今年、鎮座1300年を迎える宇佐神宮は、全国に4万社以上もあるという八幡社の総本宮だ。
国宝の本殿は、イチイガシやクスノキなどの杜に覆われた広大な境内の南奥、勅使(ちょくし)門の内にある。間近に見ることはできないが、江戸時代末期の建築で、三棟の御殿が横に並ぶ古い形式を伝えている。境内西参道の脇には、明治時代の神仏分離によって廃された弥勒寺の跡があり、いくつかの礎石が残されている。宇佐神宮が、神仏習合の発祥とされる由縁の遺構としてぜひ見ておきたい。その先の寄藻川(よりもがわ)に架かる呉橋(くれはし)は、中国呉(ご)の国の人が架けたとされる檜皮葺の屋根がついた立派な橋で一見の価値がある。境内にはほかにも見どころが多く、有料だがガイドさんに案内してもらうことをおすすめしたい。
宇佐神宮が、田染荘を含む豊後国最大の荘園領主であり、道鏡事件が示すように、託宣する神として朝廷とも深い関係をもっていたことなど、実際に現地を訪れることで、歴史における宇佐神宮の重要性を生徒も実感するだろう。また、八幡神は「武神」としても崇められていて、宇佐海軍航空隊から特攻に向かう兵士たちが「武運長久」を祈願しに訪れたことは、航空隊跡での平和学習と関連付けてとらえさせることもできそうだ。
▼日本史の授業で道鏡と和気(わけの)清麻呂(きよまろ)について学んだなら、宇佐八幡神託事件を知らない生徒はいない。広大な敷地を歩きながら、田染荘も宇佐神宮の荘園であったことを思い返すことで、この神宮がいかに権威ある存在であったかを再認識することができる。
竹田市
難攻不落の岡城をガイダンス/竹田市歴史文化館・由学館
瀧廉太郎が作曲した「荒城の月」は、彼が少年時代によく遊んでいた岡城がモチーフになっているという。岡城は16世紀末、現在の大分県南西部に位置する竹田市の台地に築かれた山城で、築城から廃藩置県に至るまで岡藩主中川氏の居城とされていた。今、建物は一棟も残されていないが、断崖絶壁の上につくられた石垣群を見れば、岡城が難攻不落といわれた理由がよくわかる。
その岡城のガイダンスセンターが竹田市歴史文化館・由学館(ゆうがっかん)にある。竹がふんだんに用いられた美しい建物は、隈研吾氏の設計によるもの。館内のジオラマとARアプリで岡城の全貌をとらえたら、石垣シアターで映像を視てほしい。岡城の歴史が、10分ほどのアニメと実写で紹介されていてよくわかる。また、ここには岡藩伝来の銅鐘「サンチャゴの鐘」(国重文)が展示されている。キリシタンの貴重な遺物として必見だ。
同館の「ちくでん館」には、江戸時代後期の文人画家・田能村(たのむら)竹田(ちくでん)(竹田出身)をはじめ、歴史や文化に関する企画展が開催されている。丘の上には彼の住まいだった「旧竹田荘」があり、公開されているので見ておきたい。
▼博物館の展示では、岡城の立地や構造について模型でわかりやすく紹介するなど、岡城の見学前に予備知識を得るガイダンスセンターとしての役割が明確である。竹田の町並みを見ながら岡城まで足を延ばしたい。
豊後大野市
田園地帯に現れる滝/原尻の滝
大分県南部、豊後大野市の田地が広がる中に、突然のように現れる原尻(はらじり)の滝。「おおいた豊後大野ジオパーク」のジオサイトの一つだ。普通にイメージされる滝とは全く違った景観が興味深い。
滝のある一帯は、9万年前の阿蘇山の噴火に伴う火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩(ぎょうかいがん)からなっていて、その柱状節理が割れて崩れ落ちたところに川が流れ込んでこの滝ができたという。このような滝のでき方から、大地の動きについて生徒たちに考えさせることができる。
また、ジオガイドさんからは、滝に流れ込む川から取水する井路が開削されたことによって耕地の拡大が可能になったことなど、地形と人々の暮らしとの関りがよくわかる説明を受けた。珍しい景観を楽しむだけでなく、ジオパークならではの学びができる貴重な場として見学することをおすすめしたい。
▼滝の成り立ちに阿蘇山の火砕流が関わっていることなど、地理や地学の学習とも結びつけられ、さらに室町時代以来の水路開発の歴史を学ぶことができるという点で、教科横断型の学習に適している。
臼杵市
近世の面影を残す城下町/臼杵の町歩きとインタビュー研修
大分県東南部に位置する臼杵(うすき)は、大友宗麟が臼杵湾の丹生島(にうじま)に城を築いて居城とし、城下町を整備したことから発展していった。江戸時代に臼杵藩主となり幕末までこの地を治めた稲葉家は、質素倹約を奨励したが、それは今も臼杵の人々の気質となっているという。
臼杵には、現在も城下町の風情を感じる街並みが残るが、「二王座(におうざ)歴史の道」はぜひ歩いてほしい。二王座は、阿蘇の噴火によってできた凝灰岩の丘で、界隈にはこの岩を削ってつくった「切通し」と呼ばれる石畳の道が数多くある。ここでは、高い石垣と白壁の武家屋敷群や多くの寺院が集められた寺町からなる、近世そのままといってよい景観を見ることができる。「歴史の道」近くの見星(けんしょう)禅寺(ぜんじ)に立ち寄ってみたい。裏庭に安置されている「マリア観音」は、隠れキリシタンが信仰した像と伝えられるが、大友宗麟の時代に広がったキリスト教との関わりがうかがわれて興味深い。また、稲葉家下屋敷は、廃藩置県後に東京に移った稲葉家が帰郷する際に利用したもので、明治時代の建築だが、江戸時代末期の上級武家屋敷の様式をよく伝えていて見ごたえがある。
城下町のメインストリート「八町大路(はっちょうおおじ)」の中心部は、昨年11月に大火に見舞われ、住宅や店舗など15棟が焼失した。もともとここでは、商店主や寺院の住職など「ほんまもん観光人」として認定された町の人々と生徒たちが対話・交流するプログラム「城下町インタビュー研修」が行われていたが、大火以降は、消火活動に携わった人々や町の復興に取り組んでいる人々を訪ね、話を聴くこともプログラムに加えられるようになった。
今回は、和服のシミ抜きや染め直し(悉皆(しっかい))を主とする呉服屋のご主人からお話を伺った。ご主人は、消防団の一員として消火活動に参加したが、顧客から預かっていた和服の大半が焼失してしまい、今は、その後始末をしながら店の再建に取り組んでいるという。その気概には胸を打たれるものがあった。生徒たちも、きっと学ぶことが多いはずだ。
▼インタビュー研修は、伝統産業の現在を知るうえで貴重な機会になるだけでなく、大火で生活基盤を失った人々がどのように生活再建に取り組んだかを直接聞くこともできる。実際にお話を聞けた方の率直な語り口から、突然の災害に直面した人々の生き方に触れることができるのは大きな魅力だ。
大分県東南部に位置する臼杵(うすき)は、大友宗麟が臼杵湾の丹生島(にうじま)に城を築いて居城とし、城下町を整備したことから発展していった。江戸時代に臼杵藩主となり幕末までこの地を治めた稲葉家は、質素倹約を奨励したが、それは今も臼杵の人々の気質となっているという。
臼杵には、現在も城下町の風情を感じる街並みが残るが、「二王座(におうざ)歴史の道」はぜひ歩いてほしい。二王座は、阿蘇の噴火によってできた凝灰岩の丘で、界隈にはこの岩を削ってつくった「切通し」と呼ばれる石畳の道が数多くある。ここでは、高い石垣と白壁の武家屋敷群や多くの寺院が集められた寺町からなる、近世そのままといってよい景観を見ることができる。「歴史の道」近くの見星(けんしょう)禅寺(ぜんじ)に立ち寄ってみたい。裏庭に安置されている「マリア観音」は、隠れキリシタンが信仰した像と伝えられるが、大友宗麟の時代に広がったキリスト教との関わりがうかがわれて興味深い。また、稲葉家下屋敷は、廃藩置県後に東京に移った稲葉家が帰郷する際に利用したもので、明治時代の建築だが、江戸時代末期の上級武家屋敷の様式をよく伝えていて見ごたえがある。
城下町のメインストリート「八町大路(はっちょうおおじ)」の中心部は、昨年11月に大火に見舞われ、住宅や店舗など15棟が焼失した。もともとここでは、商店主や寺院の住職など「ほんまもん観光人」として認定された町の人々と生徒たちが対話・交流するプログラム「城下町インタビュー研修」が行われていたが、大火以降は、消火活動に携わった人々や町の復興に取り組んでいる人々を訪ね、話を聴くこともプログラムに加えられるようになった。
今回は、和服のシミ抜きや染め直し(悉皆(しっかい))を主とする呉服屋のご主人からお話を伺った。ご主人は、消防団の一員として消火活動に参加したが、顧客から預かっていた和服の大半が焼失してしまい、今は、その後始末をしながら店の再建に取り組んでいるという。その気概には胸を打たれるものがあった。生徒たちも、きっと学ぶことが多いはずだ。
▼インタビュー研修は、伝統産業の現在を知るうえで貴重な機会になるだけでなく、大火で生活基盤を失った人々がどのように生活再建に取り組んだかを直接聞くこともできる。実際にお話を聞けた方の率直な語り口から、突然の災害に直面した人々の生き方に触れることができるのは大きな魅力だ。
料亭文化と食の体験/喜楽庵
臼杵市は、長く育まれてきた多彩な食文化が評価され、2021年にユネスコ食文化創造都市ネットワークへの加盟が認められた。なかでも、臼杵の質素倹約の精神を背景に生まれた郷土料理は、人々の創意工夫が込められた食文化として今も地域に受け継がれている。
臼杵にある老舗の高級料亭御三家のうち、明治一一(1878)年創業という喜楽庵で郷土料理をいただいた。料理は、すべて地元産の魚や有機栽培の野菜を使ったもの。魚をおろしたあとの中落ちにおからをまぶした「きらすまめし」、砕いたくちなしの実で黄色く染めた「黄飯(おうはん)」、黄飯にかける白身魚や野菜、豆腐などを炒めて煮込んだ「黄飯かやく」、どれも臼杵ならではのもので、質素だがとても美味しい。味噌や醤油なども全て400年以上の歴史がある地元産のものだ。
教育旅行のプログラムとしては、女将さんから料亭の文化や臼杵の食文化、和の作法などを学んだ後に、この郷土料理をいただく、という構成になっている。他の地域にはない五感を使った「食文化」の体験を、ぜひ試みてほしい。
▼料亭は高校生などには縁遠い世界のように思われるが、食文化の粋を集めた料理に接することができるという点で、機会があれば行かせたいところだ。臼杵は、質素倹約の気風の強い地域であることから、料亭につきまといがちな贅沢なイメージとは違う郷土料理が出された。
他にはない国宝の石仏群/臼杵石仏
臼杵の城下町から車でおよそ15分の中山間部に国宝の臼杵石仏がある。61体ある石仏は4群に分かれているが、全てが溶結凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたという。
ガイドさんの案内で山に向かって登っていくと、最初に出逢うのがホキ(崖という意味の地名)第二群の石仏た
ち。第一龕(がん)の阿弥陀三尊像の中尊・阿弥陀如来像は、その表情から彫刻技術の高さがうかがわれる。4つ目の群は、古園(ふるぞの)石仏と呼ばれる臼杵石仏を代表する石仏群で、大日如来を中尊とする13体の石仏が並ぶ。なかでも彩色が施された大日如来像は、端正な顔立ちの頭部から膝の造形に至るまで精緻に彫刻されていて、磨崖仏とは思えないほど。臼杵石仏中の最高傑作というのも納得できる。
臼杵石仏は、金銅像や塑像(そぞう)、一木造(いちぼくづくり)や寄木造(よせぎづくり)といった生徒のもつ仏像のイメージを覆す優れた磨崖仏だ。溶結凝灰岩の地質という特性を踏まえたこの地域ならではの仏教文化に触れることで、奈良や京都、鎌倉といった定番の旅行先では学ぶことが難しい仏教文化の多様性に気付かせることができるだろう。
▼自然と融合した国宝の石仏は、他ではなかなか見ることができない見ごたえのあるものだった。なぜこの地にこれほどの石仏が作られたのかについて、この地の流通などを踏まえ、臼杵という地域の特徴を生徒たちに考えさせたい。
別府市
宿泊施設情報/城島(きじま)高原ホテル
豊かな自然に囲まれた高原のリゾートホテルだが、約50年にわたって教育旅行を受け入れている。最大受入人数は345名。客室のあるA棟・B棟がY字形に連なり、男女別の部屋割りに都合がよい。また、まっすぐな廊下の両側に部屋が並んでいるので生徒の動きも把握しやすい。和洋室・和室はともに広く、大広間やミーティング室など学校が求める施設・設備が揃っていて、大浴場も利用できる。食事は夕食・朝食ともビュッフェ形式。県内の農泊とも連携しているので、交互の宿泊や分散宿泊などもできる。
今回訪れたエリアには、古代から近現代に至る各時代の歴史・文化学習、自然体験や定評のある「農泊」体験など、教育旅行に向けた多彩なプログラムが用意されている。また、それぞれのスポットに豊かな知識をもつガイドさんがいることも、旅行先の人々との対話・交流を重視する学校にとって好ましい。
教育旅行で、生徒が「何を、どのように学ぶのか」を前提に旅行先を考えるのなら、「おおいた」は、学校の様々なニーズに応えることのできる地域として、ぜひおすすめしたい。
【問い合せ先】
(公社)ツーリズムおおいた
大分県大分市高砂町2―50 OASISひろば21
TEL:097―536―6250
臼杵の城下町から車でおよそ15分の中山間部に国宝の臼杵石仏がある。61体ある石仏は4群に分かれているが、全てが溶結凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖仏(まがいぶつ)で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫刻されたという。
ガイドさんの案内で山に向かって登っていくと、最初に出逢うのがホキ(崖という意味の地名)第二群の石仏た
ち。第一龕(がん)の阿弥陀三尊像の中尊・阿弥陀如来像は、その表情から彫刻技術の高さがうかがわれる。4つ目の群は、古園(ふるぞの)石仏と呼ばれる臼杵石仏を代表する石仏群で、大日如来を中尊とする13体の石仏が並ぶ。なかでも彩色が施された大日如来像は、端正な顔立ちの頭部から膝の造形に至るまで精緻に彫刻されていて、磨崖仏とは思えないほど。臼杵石仏中の最高傑作というのも納得できる。
臼杵石仏は、金銅像や塑像(そぞう)、一木造(いちぼくづくり)や寄木造(よせぎづくり)といった生徒のもつ仏像のイメージを覆す優れた磨崖仏だ。溶結凝灰岩の地質という特性を踏まえたこの地域ならではの仏教文化に触れることで、奈良や京都、鎌倉といった定番の旅行先では学ぶことが難しい仏教文化の多様性に気付かせることができるだろう。
▼自然と融合した国宝の石仏は、他ではなかなか見ることができない見ごたえのあるものだった。なぜこの地にこれほどの石仏が作られたのかについて、この地の流通などを踏まえ、臼杵という地域の特徴を生徒たちに考えさせたい。
別府市
宿泊施設情報/城島(きじま)高原ホテル
豊かな自然に囲まれた高原のリゾートホテルだが、約50年にわたって教育旅行を受け入れている。最大受入人数は345名。客室のあるA棟・B棟がY字形に連なり、男女別の部屋割りに都合がよい。また、まっすぐな廊下の両側に部屋が並んでいるので生徒の動きも把握しやすい。和洋室・和室はともに広く、大広間やミーティング室など学校が求める施設・設備が揃っていて、大浴場も利用できる。食事は夕食・朝食ともビュッフェ形式。県内の農泊とも連携しているので、交互の宿泊や分散宿泊などもできる。
今回訪れたエリアには、古代から近現代に至る各時代の歴史・文化学習、自然体験や定評のある「農泊」体験など、教育旅行に向けた多彩なプログラムが用意されている。また、それぞれのスポットに豊かな知識をもつガイドさんがいることも、旅行先の人々との対話・交流を重視する学校にとって好ましい。
教育旅行で、生徒が「何を、どのように学ぶのか」を前提に旅行先を考えるのなら、「おおいた」は、学校の様々なニーズに応えることのできる地域として、ぜひおすすめしたい。
【問い合せ先】
(公社)ツーリズムおおいた
大分県大分市高砂町2―50 OASISひろば21
TEL:097―536―6250
