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掲載記事・視察レポート

視察レポート

「未来を生きる力」を育む宮城県の教育旅行(2025年1月号掲載)

2025-01-10
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文・写真=(公財)日本修学旅行協会 事務局長 高野 満博
月刊「教育旅行」2025年1月号掲載
※本記事中の情報は執筆当時のもので、その後変更されている場合があります。
最新情報は問い合せ先にご照会ください。


昨年7月、宮城県観光戦略課および(公社)宮城県観光連盟のご協力により、多賀城市、松島町、石巻市、仙台市の教育旅行プログラムや受入施設等を視察させていただいた。
多賀城市
◆多賀城政庁跡
多賀城政庁跡は仙台駅から車で約30分。現地のガイドに案内していただき、見学した。多賀城は、奈良時代(西暦724年)に仙台平野を一望できる丘の上に創建され、国府と鎮守府が置かれ、政治・軍事・文化の中心となった場所だ。「蝦夷(えみし)」と呼ばれた東北地方の住民を、中央集権国家に組み入れる前線基地的な役割を果たした。約100m四方を築地(ついじで)囲み、石敷きの中央の広場で儀式などが行われたという。政庁跡から南門に伸びる政庁南大路からは、城全体の大きさとかつての賑わいが感じられる。丘を下っていくと、政庁はまちのどこからも良く見える高台に位置していることがわかる。また、約1000人の犠牲者が出た貞観(じょうがん)地震(869年)では、多賀城の城下まで津波が達したとの説明もあった。多賀城創建1300年にあたり、象徴的な赤い南門が復元され、間もなく公開予定だ。

◆東北歴史博物館
常設展示には、東北の歴史を旧石器時代から近現代まで時代別に分けて紹介している総合展示と、歴史や文化のテーマ展示がある。施設は大きくジオラマ等も多くあり、わかりやすい。東北地方の北部には、西から稲作文化が伝わるものの、その冷涼な気候から十分な生産力が無く、漁や狩り、採集によっても食料を得ていたことから、強力な力を持つ豪族が生まれなかったそうだ。奥州藤原氏の歴史、なまはげ等のワラの神々といった展示もあり、東北らしく面白い。多賀城に関するコーナーもあり、多賀城跡からもすぐ近くの場所にあるので、併せて見学すると学びが深まるだろう。

多賀城南門
東北歴史博物館の展示
松島町
瑞巌寺
◆瑞巌寺
松尾芭蕉が「おくのほそ道」でその美しさを称えている、日本三景のひとつ松島を見学した。東日本大震災の少し後に訪れた際には、JR松島海岸駅や周辺道路にはその爪痕が残っていて、津波の浸水で茶色くなった道路や壁などが痛々しく感じられたのを記憶している。現在はきれいに修復・整備され、瑞巌寺(ずいがんじ)も平成の大修理を終えて公開されている。震災の時は松島を構成する島々が津波の勢いを弱め、押し寄せる波の被害は少なかったようだが、瑞巌寺の参道の奥には津波到達地の標記があり、その被害の大きさが伺われた。瑞巌寺は、正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」という臨済宗妙心寺派の禅宗寺院で、9世紀初頭に開かれた天台宗延福寺がその前身と言われ、奥州藤原氏や鎌倉幕府も保護したという。その後、衰退したこの寺を、仙台城の築城と併せて復興に努めたのが伊達政宗で、その菩提寺ともなっている。瑞巌寺本堂および庫裡(くり)(禅宗寺院の台所)は国宝に指定されていて、美しく重厚な雰囲気だ。法要が営まれる本堂の孔雀の間は、美しい彫刻や襖絵で此の世の浄土が表されていて、一見の価値がある。

◆五大堂
松島のシンボルである五大堂は、平安初期の大同二(807)年、坂上田村麻呂が東征のおりに毘沙門堂を建立したのが最初で、後に五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれている。現在の建物は伊達政宗が慶長九(1604)年に再建したもので、東北地方で現存する最古の桃山建築だ。島全体が聖域とされていて、「すかし橋」という板が抜かれた橋を渡って行く。参詣の際に身も心も乱れの無いように、足もとをよく見つめて気を引き締めさせるためだそうだが、結構怖く感じた。

◆円通院
円通院は瑞巌寺の横にあり、伊達政宗の孫にあたり、若くして亡くなった伊達光宗の菩提寺として正保四(1647)年に建立された。本堂の奥にある光宗の霊廟、三慧殿(さんけいでん)は西洋文化の影響が強く、厨子の内部には日本最古といわれる西洋のバラやトランプの図案が描かれている。これは、仙台藩伊達家の家臣支倉(はせくら)常長(つねなが)が慶長遣欧使節としてヨーロッパに行った影響とされる。常長が帰国した時にはキリスト教が認められていなかったため、3世紀半もの間公開せず秘蔵とされていたそうだ。

隣接する洗心庵では、学生団体の昼食の受入れもしている。お城を模した器に入ったメニューやアレンジ可能なメニューを取り揃えていて、売店もあって使い勝手が良い。

◆観瀾亭
観瀾亭(かんらんてい)は、伏見桃山城にあった茶室を豊臣秀吉から伊達政宗がもらい受けて江戸の藩邸に移築していたものを、仙台藩二代藩主忠宗がここに移したと伝えられている。松島湾が一望できる高台にあり、内部は金色の襖絵等で装飾されていて、秀吉らしい豪華絢爛な茶室だとわかる。「観瀾」とは、さざ波を観るという意味で、仙台藩の藩主や客人が月見等で利用したという。抹茶とお菓子をいただくこともでき、班別行動の立ち寄りにも良い場所だ。

◆松島湾周遊・松島復興語り部クルーズ
松島湾で、丸文(まるぶん)松島汽船(株)が運航する遊覧船に乗船した。松島は湾内外にある大小様々な260の諸島を指し、地殻変動や波の浸食等によりその美しい姿ができたそうだ。湾の中なので船が大きく揺れることはなく、進むにつれて各島の姿が変わる様子をアナウンスと共に楽しめる。様々な遊覧コースと船があり、貸切運行なども含め臨機応変に対応してくれる。

松島営業所長の矢部善之(よしゆき)さんから、松島で「奇跡の島」と呼ばれる桂島の話を伺った。東日本大震災当時は240名程がこの島に暮らしていたが、一人も犠牲者を出さずに避難できたという。過去にあったチリ地震津波の被害からの教訓で、日頃から訓練をし、島のどこに高齢者や要介護者が住んでいるかを把握し、地震の時には手分けをして声を掛けながら避難したという。日頃からのコミュニティ作りが大切だとのこと。

船内では、事前に申し込めば「松島復興語り部クルーズ」を体験できる。船内売店係の横山純子さんは、震災当日の朝、ケンカ別れをしてしまった両親に、「ごめんなさい」を言えないまま、二度と会えなくなってしまった。今でも後悔し、「誰にでも当たり前のように明日が来るわけではない」と語る。感謝や謝罪の思いはその時に伝えることが大切だ、ということを伝えてくれる。横山さんに伺うと、小学校の児童で、「楽しみに修学旅行で来たのに、何でそんなにつらい話をするんだ」と言った子がいたという。その子に対し、「何も悪いことをしていないのに帰ってこない。そういうことがあったことを知ってほしい」と話したら、うなずいてくれたという。横山さんが、ご自身の辛い話をいかに伝えようかと試行錯誤する姿勢と、今でも話しながら涙を浮かべている姿が非常に印象に残った。矢部さんも、「1%でも生きる確率を上げるためにも、子供たちに伝えて続けていきたい」と熱く語られていて、多くの生徒たちに聞いてほしい内容だと感じた。

◆宮城県松島自然の家
奥松島にある宮城県営の松島自然の家は、かつては別の場所にあったが、東日本大震災の津波で全壊し、2017年に新たにオープンした。宿泊定員は160名で、体育館や研修室があり、屋外には屋根付きの野外炊飯棟とキャンプファイヤー場、テントサイトがある。海にも近く、いかだ遊びやウォークラリー、防災体験など、体験プログラムが多数用意されている。予約は6か月前からだが、安価で充実した体験プログラムが揃っている魅力的な施設だ。
五大堂とすかし橋
円通院 三慧殿
観瀾亭
松島復興語り部クルーズの横山さん
石巻市
◆石巻市震災遺構門脇小学校
石巻市震災遺構門脇(かどのわき)小学校は、東日本大震災の津波と津波火災の痕跡を残す唯一の震災遺構。津波の直接の被害だけでなく、火のついた漂流物が校舎にぶつかったことにより、津波火災の被害も受けた遺構だ。

(一社)石巻震災伝承の会代表理事の大須(おおす)武則(たけのり)さんにご案内いただき、当時の様子を伺った。大須さんも被災者で、地震のあと自宅の様子を見に行く途中、すでに亡くなっている人を見かけたが、どうするもこともできず、手を合わせるのみだったという。もう、そんなことは経験したくもないし、他の人にも経験してほしくないという思いで、語り部としての活動をされているそうだ。

中に入ると最初の展示ボードに「わたしたちの記憶を紡ぐ 未来のいのちへつなぐ」とあり、未来のいのちを守ることにつながると信じて、記憶を紡いでいくことが宣言されている。1階では、激しい水流で破られた窓や、水圧で押しやられた椅子や机などが見られる。上の階に上がると、天井等は黒く焼け落ちていて、火災被害の状況がわかる。展示パネルには震災前の学校の様子が記録されていて、突然その日常が変わり果てた姿になったことがわかる。地震発生から避難まで、教職員や児童の発言、行動、避難した経路などについても展示されている。地震・津波・火災といった様々な災害が襲ってくる状況の中で必死に避難した様子がよくわかる。震災後に実際に利用されていた仮設住宅も展示されていて、当時の状況を物語っている。学びの要素が多く、ぜひ見てもらいたい遺構だ。

◆みやぎ東日本大震災津波伝承館
門脇小学校の前に広がる公園の中、堤防を前にガラス張りの美しい建物が建っている。震災の記憶と教訓を永く後世に伝えるために作られた施設だ。その一番高い屋根の部分は6・9mあり、この地域を襲った津波の高さを表しているという。館内では、東日本大震災での宮城県や石巻市の被害状況がわかる展示がある。宮城県は1万人以上の死者を出し、全国の死者数の半分以上を占めている。その中でも、石巻市の3000名以上という死者数は市区町村別で最も多く、東北の中でも特に甚大な被害があった地域だということが紹介されている。津波の大きさや、過去にもあった東北の地震と津波被災の歴史から、津波はまた必ず襲ってくるものとし、その対応を考えるような展示もされている。

◆いしのまき元気いちば
2017年に民設民営の観光交流施設としてオープンしたのが「いしのまき元気いちば」だ。1階の売店では石巻の食材やお菓子、お土産を取り揃えていて、2階の元気食堂では海産物等の石巻産の食材を使った昼食を提供してくれる。140席あり、学校団体の場合は座席を事前に確保してくれる。
石巻市震災遺構門脇小学校の展示
みやぎ東日本大震災伝承館の展示
仙台市
◆震災遺構 仙台市立荒浜小学校
仙台市では東日本大震災以降、津波防災対策として、海岸堤防やかさ上げ道路など多重の防災施設を整備している。仙台市中心部から車で30分程走ると、海に並行して作られたかさ上げ道路・東部復興道路があり、そこを走りながら荒浜地区に向かう。周囲に何もない原っぱの真ん中に荒浜小学校が見えてくる。

荒浜地区には当時、約800世帯2200名の人が暮らしていたという。荒浜小学校は海岸から700m内陸に位置していたが、地震後に高さ9mの津波が押し寄せ、学校の2階まで浸水した。当時の映像も館内で流されていて、学校は黒い濁流に囲まれ、この世のものとは思えない光景だった。校舎には当時、教職員・児童と近隣住民320名が避難し、27時間後に全員救出されるまでの経過を振り返る映像や写真等が展示されている。当初の避難計画では、避難場所は校舎横にあった体育館だったが、震災前に先生や地域の方々が、津波が来た時にそれで大丈夫なのかと話し合い、校舎の上層階を避難場所にしたという。自然の驚異と共に、常に防災を意識し、備えることの重要性がわかる震災遺構だ。

◆JRフルーツパーク仙台あらはま
震災以降、仙台市は荒浜地区を災害危険区域に指定し、住民からその土地を購入して防災集団移転を進めた。現在はここに住むことはできないが、その跡地には防災林や公園などの様々な施設が整備され、利活用されている。荒浜小学校のすぐそばにある「JRフルーツパーク仙台あらはま」もその一つ。人々の新たな交流と賑わい創出のために作られた観光農園で、りんご、ぶどう、いちごなど8品目約150品種が栽培され、1年を通じて旬の果物狩りができる。果物の苗木を1列に並べ、枝をV字型に成形して、作業がしやすいようにするジョイント式という新しい栽培方法を取り入れている。園内は通路が広く、足元もきれいに整備されて見通しがよいので、団体で利用するのにも便利だ。畑の区画は以前の街の区画を残して造られているそうで、以前住んでいた方がここに家があったんだと訪れることもあるという。震災後の街づくりを考えるうえでも、楽しみながら学べる施設だ。

◆仙台城跡・瑞鳳殿
仙台のランドマークである仙台城跡と伊達政宗公騎馬像を、ボランティア・ガイドに案内していただいた。現在の伊達政宗の像は2代目で、1935年に設置された初代の銅像は、戦時中に金属供出のため撤去されたそうだ。青葉山に造られ、「青葉城」とも呼ばれる仙台城は、関ヶ原の戦い直後に、伊達政宗が徳川家に敵対していた上杉家との合戦に備えて造り、広瀬川を臨む断崖や自然の地形を利用した山城となっている。またこの時、城下町も併せて造られ、城跡からは広瀬川の向こうに現在の仙台の街並みが広がるのが見える。伊達政宗が東北最大都市の基礎を築いたことがよくわかる場所だ。仙台城跡の近くの経ヶ峯(きょうがみね)に伊達政宗が埋葬された瑞鳳殿(ずいほうでん)がある。戦災で焼失し、現在の建物は再建、改修されたものだが、その豪華絢爛さがよくわかる。再建の際の発掘調査では、遺体の入った棺は駕籠に乗せたまま葬られていたそうだ。併設されている資料館には、副葬品や遺骨から復元された容貌像などが展示されているので見ておきたい。
震災遺構 仙台市立荒浜小学校
JR フルーツパーク仙台あらはま
仙台城跡から仙台市街を望む
東京駅から仙台駅までは新幹線で約90分。仙台市内は地下鉄や循環バスもあり、班別行動にも便利だ。仙台から松島へはバスで30~40分だが、JRでも40分で乗り換えもないので、班別行動ではJR利用の学校も多いという。各施設も近接していて、効率的に見学・体験ができることを改めて実感した。宮城県では貸切バスの助成金も毎年設定されている。訪問地までの移動距離が少なければ現地交通費も抑えられ、最近の旅行費用高騰への対策にもなるだろう。

未来を生きる子供たちには、必ず来ると言われる大地震や想定外の自然災害に対して、対応する力や乗り越える力が今まで以上に必要になるだろう。宮城県にはそうした力を育む場所や、成長を後押してくれる人々が多くいる。宮城県を今後の教育旅行の候補地として、検討いただければ幸いだ。

【問い合せ先】
宮城県経済商工観光部 観光戦略課
TEL:022―211―2755
みやぎ教育旅行等コーディネート支援センター
TEL:022―265―8722
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