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掲載記事・視察レポート

視察レポート

歴史から学び、今と未来を考える沖縄の「学び」の旅(2024年5月号掲載)

2024-05-10
文・写真=(公財)日本修学旅行協会 事務局長 高野 満博
月刊「教育旅行」2024年5月号掲載
※本記事中の情報は執筆当時のもので、その後変更されている場合があります。
最新情報は問い合せ先にご照会ください。


沖縄県は、高校の修学旅行の行先として長年ランキング1位の人気の方面だ。新型コロナの感染拡大により大きな打撃を受けたが、現在回復傾向にあり、感染拡大前の約8割位まで戻っているという。1月末の週末に、(一財)沖縄観光コンベンションビューローが、沖縄修学旅行の魅力の再発見を目的に実施した「沖縄修学旅行プロモーションモニターツアー」に参加させていただき、体験プログラムを中心に視察した。
旧海軍司令部壕で沖縄戦の激しさを学び・感じる
        旧海軍司令部壕
那覇空港から15分程の豊見城(とみぐすく)市の旧海軍司令部壕を訪れた。小高い丘を上がっていくと、沖縄の街や再建中の首里城、東シナ海が見える見晴らしの良い場所だ。沖縄戦を知る上では、地理的な観点で見ておくことも重要で、事前にウェブなどで航空地図や地形図を見ておくと、どのような場所に建っているかイメージがしやすい。旧海軍司令部壕は、重要な拠点であった海軍小禄(おろく)飛行場(現在の那覇空港の場所)を守るために造られた壕で、見晴らしの良い高台に作られた理由はここにある。その横には、海軍戦没者慰霊之塔が静かに建っている。

1945年4月1日に米軍が上陸し、沖縄本島での地上戦が始まる。当時、陸軍の司令部は首里に置かれ、海軍は小禄に配備された。戦況が劣勢になると海軍の精鋭部隊は陸軍の指揮下におかれ、海軍司令部は重火器を破壊し南部・摩文仁(まぶに)方面へ転進。しかし、指揮系統の混乱が生じ、転進時期が異なるとのことで、首里の陸軍司令部より海軍は小禄に戻るよう指示が出されたが、戻っても武器はなく、その後米軍に包囲され、槍でのゲリラ戦で徹底抗戦を余儀なくされたという。最終的には海軍の将兵約4000人が犠牲になったと言われるが、女性や子供の遺骨も発見されていて、逃げ場を失った民間人もこの壕に逃げ込んだと思われる。

海軍司令部壕は1944年に5カ月という短期間で、ツルハシや鍬を用いて人力で掘られた総延長450mの地下壕だ。壁面を見るとツルハシで掘ったあとがわかる。トイレも狭い壕の中で済まさざるを得ず、悪臭やノミ・シラミ等が発生し、立ったまま休憩・睡眠を取るような非常に劣悪な環境の中、持久戦を強いられたという。壕に入る前に平和ガイドの方から「暖衣飽食」と書かれたボードが示された。衣食住ともに不自由しない現代において、戦時中の兵士達はどのような状況で戦ったのか、という質問が投げかけられる。壕の中に入ると、当時の状況をイメージしやすくするために電気が消される。あの暗闇、そして爆撃の振動と悪臭の中で、まともな武器も無い兵士たちは何を思いながら戦ったのか、生徒たちに感じてほしい。

ビジターセンターでは、満州事変から沖縄戦までを説明した、とてもわかりやすい映像資料「沖縄戦 海軍の戦い」が上映されている(この映像は、「おきなわ修学旅行ナビ」の関連リンク集にも掲載されているので、事前学習等で是非見ていただきたい)。また、当時の写真や壕内から出た遺品、そして当時の武器であった手製の槍などが展示されている。

当日は、遺骨収集の作業中で、その場所も特別に見せていただいた。自衛隊や民間の方だけでなく、米軍関係者も参加していることを伺い、驚き感心するとともに、まだ終わっていない戦争の爪痕を知る機会となった。壕内は狭いため、団体(20名以上)での見学は要予約。見学の仕方や順番について、目的や日程に応じて調整してもらえるので、事前に連絡・相談してほしい。
基地問題を考える「道の駅かでな」の平和学習ガイド
嘉手納飛行場の滑走路(上)と隣接する民家
次に訪れたのは、嘉手納(かでな)町にある基地に隣接する唯一の道の駅、道の駅かでな。2022年4月に展望所が増設され、展示室も大きくリニューアルされ、駐車場、飲食店を含む休憩場所も広くなり、団体での利用がしやすくなった。ここでは(一社)嘉手納町観光協会が、平和学習プログラム「平和学習ガイド in 道の駅かでな」を新たに開発し、提供している。沖縄の米軍基地の概要説明と展望所からの基地見学、展示室の説明という形で構成されている。展望所からは4000m級の滑走路を2本持つ極東最大級の米軍基地「嘉手納飛行場」を目の前に見ることができる。この日は土曜日だったため、飛行機の離着陸する姿を見ることはなかったが、基地の大きさに驚くとともに、そのすぐ横には道路があり、周辺には普通に人が暮らす住宅があることに複雑な思いがする。

概要説明では、最初に3つの数字70.3%、14.6%、82%が示され、何の数値か問われる(正解は現地で確認してほしい)。沖縄の嘉手納およびその周辺に米軍基地が集中して配備され、基地がある生活が当たり前になっている。この地では、基地内で働いている人や、そのような人々を相手に商売をしている人も多く、基地が現地の生活や経済にある程度組み込まれているという側面もあるという。一概に基地反対の人ばかりでないことを聞くと、やはり難しい問題だと改めて感じた。生徒たちもそこから多くのことを学ぶことができるだろう。
沖縄戦の始まりの地・比謝川で自然と平和の尊さを知る
比謝川でのカヤック体験
沖縄本島中部を流れる比謝川(ひじゃがわ)は、沖縄市・嘉手納町・読谷(よみたん)村など5市町村をぬって東シナ海に注ぐ、流域面積が沖縄本島で最も大きな河川だ。波や風の影響を受けにくく、流れがとても穏やかなので、生徒たちが水上体験をするのに適している。アクセスも非常によく、修学旅行のコースに組み入れやすい場所だ。ここでカヤック体験や平和学習プログラム等を提供しているのが(株)ブルーフィールド。比謝川沿いに比謝川自然体験センターがあり、ここからカヤックに乗船したり、遊歩道や施設内でのレクチャーが行われる。体験プログラムは、「平和学習クルーズ」「SDGs環境学習・SDGsクルーズ」「マングローブカヤック」の3つのプランが用意されている。

比謝川河口は、沖縄本島での戦闘の始まりの地であったとされる。沖縄本島に米軍が上陸するにあたり、この地に約10万発の艦砲射撃がされ、自然も含めて破壊しつくされた。戦後、再生した比謝川周辺の自然は「若い自然」であるという。

乗船場の向こう岸や遊歩道を歩くとマングローブが間近で観察できる。マングローブは、熱帯・亜熱帯地域で、潮の満ち干の影響を受ける河口など海水と淡水が入り交じる沿岸に生育する植物の総称だ。「マングローブカヤック」では、2人で一艇のカヤックを漕ぎながら、マングローブや自然を楽しみながら観察し、学ぶことができる。川沿いの遊歩道にはモモタマナという沖縄ではあちこちに見られる木がある。枝が水平に伸び大きな葉をまとめて広げ木陰を作るので、暑い沖縄で街路樹に利用されているそうだ。また、その実は現地に生息するオオコウモリの好物で、落ちている実をみるとその多くがかじられていることがわかり、自然と共生していることがよくわかる。

「平和学習クルーズ」は、ボートに乗って米軍の上陸地点や戦跡を見学し、当時の写真と見比べながら戦争と平和を考えるプログラムだ。また、近隣の嘉手納町では、タッチ・アンド・ゴーと呼ばれる離着陸訓練の際は何も聞こえない状況で、その騒音のため二重窓を設置したり、窓が開けられないので換気扇をつけている家がほとんどだという。基地にまつわる現在の問題も、ガイドから聞くことができた。現地に行かないとわからない実情を知る貴重な機会だった。
異国情緒漂うアメリカンビレッジで英語で国際交流
アメリカンビレッジで国際交流
北谷(ちゃたん)町にある美浜(みはま)アメリカンビレッジは、沖縄とアメリカの街並みが融合したエリア。カラフルな洋風の建物が点在し、海沿いに様々な専門店やインポートショップ、カフェやレストランなどの飲食店がある開放的な雰囲気の沖縄で人気のスポットだ。

この異国情緒漂う場所で、Hello World(株)が提供する国際交流とロゲイニング(ミッションをクリアしながらスコアを競うゲーム)をミックスした、探究型フィールドワーク「国際交流型まちかどロゲイニング」を体験した。各グループにイングリッシュ・スピーカー(以下ES)が1名加わり、英語でコミュニケーションを取りながら、チームでミッションをクリアするプログラムだ。まずは解放感のあるビーチに集い、ESが紹介され、アイスブレイクとしてみんなで元気よくダンス。そして全て英語で書かれたミッションシートを渡され、チームで英語で話し合い、協力しながらアメリカンビレッジを散策してミッションをクリアする。ESはとても明るく、ミッションクリアに向けて上手くサポートしてくれる。筆者のチームのESは、フィリンピン籍で、2人の娘さんがいて、旦那さんはミリタリーだと伺った。沖縄は好きですかと聞くと、大好きだと答える。なぜなら、子供たちを育てるのにとても安全だから、とお話しされたのが印象的だった。沖縄には様々な人が暮らし、様々な考えを持つ方がいることを改めて感じる場面だった。英語が得意でないためうまく聞き取れない部分もあったが、外国人と英語でコミュニケーションすることはとても楽しく、国際交流の面白さを感じたプログラムだった。
沖縄らしい雰囲気の中での体験活動
体験王国むら咲むら 外観
読谷村の宿泊施設が併設されている体験施設、体験王国むら咲(さき)むらを訪れた。周囲にはサトウキビ畑、そして沖縄の青い海、と沖縄らしさを感じる。元々はNHKの大河ドラマ「琉球の風」のオープンセットで、華やかな大交易時代の琉球王国の歴史を広大な敷地に再現し、そこに沖縄の体験工房を集めて開業した施設だ。ここでは黒糖作りの体験をした。固いサトウキビを機械に入れて絞る工程と、予め煮詰めておいたサトウキビの搾り汁を空気を入れながら混ぜて固める作業で、非常に甘くこくのある黒糖ができ、持ち帰ることができる。その他、シーサーの絵付け体験など、約60種の体験ができる。併設されているホテルは、2~6名定員の和洋室タイプの部屋で、沖縄らしいリゾート感がある。食事は隣接の施設での提供となる。また、この時期はランタンイベントが開催されていて、夜は美しいライトアップで彩られていた。
沖縄の中高生が首里城ガイド
興南アクト部の生徒による首里城ガイド
那覇市の興南中学校・高等学校、興南アクト部の生徒たちによるガイドで、2019年に火災で焼失し、現在復元工事中の首里城を案内してもらいながら見学した。興南アクト部は、生徒たちが地元の文化や歴史を学び、それを広く伝えることを目的として創設された。修学旅行生を対象に、「沖縄問題」などをテーマとして生徒たちが意見を交わす学習会、エイサーや三線などの文化交流、首里城ガイドなどの交流プログラムがあり、平日の放課後および週末に活動している。部員は約70 名で、宿への出張も可能と聞いた。

筆者のグループには中学・高校生の3人がついてくれて、周囲に人がいない場所を選ぶ気遣いもしながら、説明用のボードを使って見所を明るくわかりやすく説明してくれたのがとても素晴らしかった。中高生らしい普段の生活の様子や、沖縄の子たちの生の声が聞けたのも楽しく、同年代の修学旅行生が一緒に見学したら更に楽しく刺激的な時間になるだろうと感じた。全国の他の地域でも、生徒によるガイド活動を行っているところがあり、このような活動が広がれば、同世代で交流する生徒それぞれにとって学びと成長の機会になると思う。当協会でも応援していきたい。


今回の沖縄視察では、戦争は過去のものではあるが、その事象や爪痕は、後世に生きる人たちへ様々な形で大きな影響を与えてきたのだと改めて痛感した。歴史や文化は綿々と過去から今に繋がっていて、将来、今の児童・生徒が活躍していく世の中においても、直接・間接的に様々な角度で関わってくるのだと知ってもらいたい。

沖縄には過去から今へと繋がる学びが多くあり、新しい様々なプログラムが開発されている。沖縄修学旅行では、既存のコース設定だけでなく、それらを積極的に取り入れて、生徒の成長へ繋がるより良い体験になるよう活用していただきたい。

【問い合せ先】
(一財)沖縄観光コンベンションビューロー
沖縄県那覇市字小禄1831番地1 沖縄産業支援センター2F
TEL :098―859―6129
URL : https://education.okinawastory.jp/
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