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掲載記事・視察レポート

視察レポート

鶉野・姫路の新しい教育旅行プログラム(2023年8月号掲載)

2024-02-02
文・写真=(公財)日本修学旅行協会 理事長 竹内 秀一
月刊「教育旅行」2023年8月号掲載
※本記事中の情報は執筆当時のもので、その後変更されている場合があります。
最新情報は問い合せ先にご照会ください。


新学習指導要領の完全実施を受けて、中学・高校では「探究的な学習」への取り組みが進められている。「探究的な学習」には、社会全体に視野を広げ、そこから学ぶことが欠かせない。修学旅行をはじめとする教育旅行は、そのような「学び」の格好の機会となるもので、実際、教育旅行の受入れ地に「探究的な学習」に対応したプログラムを求める学校が多くなっている。

旧日本海軍の鶉野(うずらの)飛行場跡などが残る兵庫県加西(かさい)市と、今年、世界遺産登録30周年となる国宝・姫路城を擁する姫路市では、今、「探究的な学習」を踏まえた新しい教育旅行のプログラムがつくられている。先日、(公社)姫路観光コンベンションビューローの主催するモニターツアーに参加させていただき、造成
途上のプログラムを視察した。
加西市鶉野の平和学習プログラム
九七式艦上攻撃機と紫電改のレプリカ
姫路市に隣接する加西市鶉野へは、JR新大阪駅から貸切バスで1時間30分ほどと、地図から受ける印象よりも意外に近い。ここには、かつて姫路海軍航空隊の飛行場(鶉野飛行場)が設けられ、現在はその跡と防空壕など軍事施設の遺構・遺跡が多く残されている。昨年、飛行場跡にできた地域活性化拠点施設「soraかさい」に鶉野ミュージアムがオープンし、そこを拠点に一帯に残る戦争遺跡群を巡るフィールドミュージアムとしてのかたちが整った。

鶉野ミュージアムでは、入館者を2機の飛行機が迎えてくれる。天井から吊るされているのは「九七式艦上攻撃機」。これは特攻機としても使われたという。その下に展示されているのが、ゼロ戦に代わる戦闘機として期待された「紫電改(しでんかい)」。どちらも飛行場近くにあった川西航空機姫路製作所の工場で組み立てられていた海軍機の精巧な実物大レプリカだ。

隣の歴史ゾーンでは、ストーリーウォ―ルに映し出される映像で、飛行場の建設から終戦までの約3年間の歴史が4編のストーリーとして紹介されている。展示コーナーの写真や実物資料などと併せて視ることで、鶉野飛行場の位置づけがよく理解できる。飛行場やその関連施設が多くの近隣住民、朝鮮人労働者らによって短期間につくられたこと、ここで訓練を受けた航空隊員が各地の航空隊に配属されたこと、なかでもここで編制された海軍特別攻撃隊「護皇白鷺(ごおうはくろ)隊」が、大分県の宇佐(うさ)を経て鹿児島県鹿屋(かのや)の串良(くしら)飛行場から出撃し、63 名もの若い命が失われたこと、これらをしっかりと記憶に留めておきたい。

ミュージアムを出て滑走路の跡に向かう。一直線に延びる舗装路がそれで、すぐ脇に見られる崩れた無数のコンクリート塊は当時の名残りだ。滑走路は、全長1200m、幅60m。旧日本軍飛行場の滑走路の多くは、戦後、田畑に戻されたり道路に改修されるなどして、当時の姿を留めていない。ほぼ原形のまま残るのは、これが唯一だといえるだろう。大空に向かって次々と飛び立っていく飛行機、この場所に立つと当時の光景が自然と甦ってくる。
巨大防空壕シアター
数多く残されている防空壕のうち、発電施設のあったひと際大きな防空壕を利用して、昨年「巨大防空壕シアター」が開設された。ヘルメットを被り急な階段を下りて行くと、コンクリート造りの頑丈なかまぼこ型の空間に出る。ここでは、3名の特攻隊員の遺書が朗読される映像(約20分)を視聴した。逃れることのできない死を前にした隊員の思いが胸を打つ、と同時にかけがえのない命をあまりに軽く扱う戦術や戦争そのものに対する憤りが湧きあがってくる。

「巨大防空壕」と溜池を挟んで反対側には、敵の飛行機を撃つための機銃を据えた対空機銃座の跡がある。ここには、映画の撮影で使われた機銃のレプリカが据えられていた。道を下っていくと航空隊の入口を示す衛門の門柱(再現)がある。そのすぐ先にはコンクリート造の防空壕があって中に入ることができる。これは、爆風を防ぐために内部を凸型にした特別なもので、空襲の時には、衛兵や一般の兵士がここに逃れるという。

さらに道なりに下っていくと、左手にはいくつものコンクリート造や素掘りの防空壕があり、爆弾庫の跡も見ることができる。この道は、北条鉄道の法華口(ほっけぐち)駅に続く。駅には、大正四(1915)年、開業当時の駅舎が残されている。各地からやって来た航空隊員や面会に来た家族は、この駅から坂道を上って鶉野飛行場に向かった。できればこの道を歩いてほしい。そうすれば、当時の人々の気持ちに一層近づけるはずだ。

戦争遺跡を巡るにはガイドが欠かせない。鶉野飛行場跡には加西市公認の観光ガイドがいて(有料)、ガイド1名につき20名まで案内してもらえる。また、教育旅行用のモデルコースやガイドマップもあるのでぜひ活用されたい。
姫路城のSDGsプログラム
国宝・姫路城
姫路城には、江戸時代初期に建てられた大天守をはじめ小天守や櫓(やぐら)、門などの多くの建造物が現存していて、そのうちの8棟が国宝に指定されている。城郭建築としての高い価値、誰をも魅了する白く輝く姿の美しさ、姫路城は修学旅行でも人気の訪問先となっている。

姫路城が「白鷺城」とも呼ばれる所以は、壁や土塀、屋根瓦の継ぎ目など建物の外部のほとんどに施された漆喰の白さにある。今、姫路城では、この漆喰をテーマとしたSDGsの学習プログラムづくりが進められている。平成二一(2009)年から始まった姫路城の「平成の大修理」で、漆喰塗りを手掛けた(株)山脇組の代表・山脇一夫さんからお話を伺った。

国宝などの文化財の修理では、できるだけ創建当時と変わらない工法や材料を用いる必要がある。姫路城では、主原料の消石灰に海草糊とスサ(ひび割れ防止のための麻などの繊維)を混ぜ、水で練るという、古代からの伝統に則ってつくった漆喰を使う。漆喰は、呼吸するため調湿機能に優れ、正しくメンテナンスすれば100年以上の耐久性もある。また、不燃性なので防火に効果を発揮し、カビなどの雑菌も吸着して再放出しない。すべて国産の材料でつくることができ、廃棄してもやがて自然に還っていく。漆喰塗りは、持続可能な工法として注目されているが、それを施工する左官職人が不足していることが課題だという。
屋根瓦の継ぎ目に施された漆喰の説明
お話の後、山脇さんの案内で、各所に施された漆喰に着目しながら姫路城を見学した。実際、そういう目で見てみると、建物の外も内も白いところはほとんどが漆喰で塗られていることがわかる。塗った漆喰が固まるまでに2~3週間、完全になるまでには2~3ヶ月もかかる。壁などの広い面は、ムラにならないよう一気に塗らなくてはならないというたいへんな作業だ。とくに、屋根を支える垂木(たるき)や破風(はふ)に取り付けられた様々な形の懸魚(げぎょ)など、細かい部分の作業には高度な技術が必要で、山脇さんも苦労されたとのことだが、その仕上がりからは「匠の技」の凄さが感じられた。

自分の目で見ること、職人さんのお話を聴くこと、これに加え漆喰を練り上げる作業や鏝(こて)を使って漆喰を塗る作業など、実際に生徒たちが体験できることをプログラムの中に組み込むプランも進んでいるという。早期の実現が期待される。

文化財学習では、その文化財がなぜ現在にまで伝えられ、残されてきたのかを学ぶことも重要な視点になる。文化財には、修理・修繕を繰り返してきた歴史があり、その背景には、それを伝えようとしてきた人々の思いや技術の伝承、用材の保全への取り組みなどがある。それらを学び、考えることもSDGs学習であり、漆喰に着目したこのプログラムは、キャリア教育としても学習効果が大きい。細部はこれからだが、姫路城を訪れる学校には、ぜひこのプログラムの採用を検討していただきたい。姫路市内に宿泊する学校は、姫路城への入城が8時30分(通常は9時)から可能となるのも大きなメリットだ。
宿泊施設情報
◆いこいの村はりま 加西市の公共の宿で、鶉野飛行場跡まで貸切バスで10分あまりという近さ。和室・洋室があり、収容人数は130名ほどだが、60名を越えれば全館貸切も可能。本館は、全室が廊下の両側にあって見通しが良く、生徒の動きを把握しやすい。多目的ホールや研修室、会議室があり、大浴場も利用できる。

◆ホテルモントレ姫路 JR姫路駅に直結したシティホテルだが、修学旅行もリーズナブルな料金で受入れている。ツインとトリプルの洋室が利用でき、全室が廊下の両側にあって見通しがよい。収容人数は最大400名、100名以上なら1校1館での利用が可能。全員が一緒に食事できるバンケットルームもある。

【問い合せ先】
一般社団法人加西市観光協会
TEL:0790―49―8200
公益社団法人姫路観光コンベンションビューロー
TEL:070―222―2285
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