視察レポート
「横浜みなと博物館」で港都・横浜を学ぼう!!(2023年9月号掲載)
2024-02-02
横浜港の歩みを振り返る
エントランスを入ってすぐの床面に横浜港域の衛星写真が広がっている。ここで、港の全体像と時代によるふ頭の形の変化をつかんでおきたい。
展示室は地下1階にあり、常設展示は「横浜港の歴史」と「横浜港の再発見」という二つのゾーンからなっている。歴史ゾーンでは、「開港前後の横浜」から「現代の横浜港」まで7つの時代に分けて横浜港の歴史を振り返る。江戸時代、入船・出船で賑わっていた神奈川湊ではなく、向かいにあった横浜村がなぜ開港場とされたのか、その理由を探ってみたい。リニューアルされた映像展示「横浜開港」では、大型スクリーンでペリー来航から横浜開港に至るまでの日米交渉の様子が紹介されている。スクリーン前の模型は、再来航時のペリー艦隊。警戒にあたる押
送船(おしおくりぶね)の大きさとの違いがよくわかる。「近代港の建設」では、大型船の入港を可能にした大さん橋を、100年間海底から支えたという鉄製のらせん杭(スクリューパイル)の実物展示がある。その使われ方を大さん橋の模型で確認しておきたい。
大正時代、日本初の近代ふ頭とされる新港ふ頭ができたことで大型船が13隻同時に着岸できるようになり、横浜港は生糸貿易で大きく繁栄していく。船のすぐ近くまで大量の貨物を運んだ引き込み線のレールの一部や橋梁が、現在「汽車道」として遺されているので、博物館見学の後にはぜひ見学してほしい。
展示室は地下1階にあり、常設展示は「横浜港の歴史」と「横浜港の再発見」という二つのゾーンからなっている。歴史ゾーンでは、「開港前後の横浜」から「現代の横浜港」まで7つの時代に分けて横浜港の歴史を振り返る。江戸時代、入船・出船で賑わっていた神奈川湊ではなく、向かいにあった横浜村がなぜ開港場とされたのか、その理由を探ってみたい。リニューアルされた映像展示「横浜開港」では、大型スクリーンでペリー来航から横浜開港に至るまでの日米交渉の様子が紹介されている。スクリーン前の模型は、再来航時のペリー艦隊。警戒にあたる押
送船(おしおくりぶね)の大きさとの違いがよくわかる。「近代港の建設」では、大型船の入港を可能にした大さん橋を、100年間海底から支えたという鉄製のらせん杭(スクリューパイル)の実物展示がある。その使われ方を大さん橋の模型で確認しておきたい。
大正時代、日本初の近代ふ頭とされる新港ふ頭ができたことで大型船が13隻同時に着岸できるようになり、横浜港は生糸貿易で大きく繁栄していく。船のすぐ近くまで大量の貨物を運んだ引き込み線のレールの一部や橋梁が、現在「汽車道」として遺されているので、博物館見学の後にはぜひ見学してほしい。
関東大震災と横浜港
横浜港に大きな変化をもたらしたのは、大正一二(1923)年9月1日に起きた関東大震災だ。今年は大震災からちょうど100年目にあたっている。震源の相模湾北西部に近かった横浜の街が大きな被害を受け、港湾施設もほぼ壊滅した様子がパネルで確認できる。ここでは、震災時に船が大きな役割を果たしたことを知っておきたい。当時、港に停泊していた船が被災者を船内に収容し、けがの治療や水・食料の提供をしていたのだ。壁面には、救助にあたった船の写真が展示されている。
大震災の復興事業によって京浜工業地帯の一部となる埋立地が造成され、横浜港は生糸中心の貿易港から工業製品と原料の輸出入を担う工業地帯の表玄関となっていく。このコーナーに展示されているレンガ片などのガレキは、山下公園の地下から出土したもの。美しい景観で人気の山下公園が、大震災のガレキ集積場を埋め立てて造られたことが実物を通して理解できる。
大震災の復興事業によって京浜工業地帯の一部となる埋立地が造成され、横浜港は生糸中心の貿易港から工業製品と原料の輸出入を担う工業地帯の表玄関となっていく。このコーナーに展示されているレンガ片などのガレキは、山下公園の地下から出土したもの。美しい景観で人気の山下公園が、大震災のガレキ集積場を埋め立てて造られたことが実物を通して理解できる。
客船の黄金期から戦争を経て現在へ
関東大震災からの復興を遂げていく中で、日本の客船は黄金時代を迎える。館内には多くの船舶の模型が展示されているが、それぞれが精巧につくられていて見飽きることがない。それらの魅力は、普段見ることができない船底やデッキ、船内の細部、さらに煙突の先端まで、船の全体像をまるごと観察できることだ。黄金時代にあたる昭和五(1930)年に横浜船渠で建造された「秩父丸」の模型に注目したい。サンフランシスコ航路に就航した戦前最大の日本客船だ。後方部のベランダの設計には日本的な様式が採用され、その中央には狛犬が置かれている。模型でも忠実に再現されているので、探してみてほしい。
太平洋戦争による被害、戦後の連合国軍による接収という困難な時期を経て、高度経済成長期に入るとコンテナを使用した貨物輸送が活発になり、横浜港はふ頭の形を大きく変えていく。コンテナ貨物の積み降ろしに対応した広いコンテナヤードをもち、ガントリークレーンが据え付けられたふ頭がジオラマで表わされている。現在の港の景観はこうしてできあがっていった。
横浜港を再発見
「横浜港の再発見」ゾーンには、今回のリニューアルに伴って登場した映像展示や体験型の展示が多くある。VRシアター「みなとカプセル」で映像を視てみよう。カプセル内では周囲5面のLEDパネルに、帆船日本丸などをテーマにした鮮明な映像が映し出され、体を包み込むような音声と相俟って、現実にその場面にいるかのような感覚になる。
その向かい側には「横浜港操船シミュレーター」がある。目の前に広がる映像は再現された横浜港。ゴールを目指して小型船を操縦していく。自動車のようにハンドルの動きが船にはすぐに伝わらないので、停泊中の船を除けながら進むのは一苦労。昼・夜や天候などを選び、様々なシチュエーションで操船できる本格的なシミュレーターだ。
「埋立と築港の技術と歴史」のコーナーでは、新港ふ頭の工事の様子など、普段はあまり気に留めることがない築港や埋立について、主に技術の面からプロジェクションマッピングなどで紹介している。「世界とつながる横浜港」では、キッチンが再現され、食卓に並べられた料理の材料やガスなどの燃料から、暮らしと貿易や港の役割との関係を考える展示などがある。どちらも港を学ぶうえで欠かすことのできない新鮮な視点が得られる展示内容になっている。
帆船日本丸の見学も
博物館の見学を終えたら、帆船日本丸もぜひ見学しておこう。日本丸は、昭和五(1930)年に建造された国の練習帆船で、約11、500名もの船員を育てたほか、太平洋戦争中には石炭などの緊急物資の輸送、戦後は外地に残された日本人引揚者の帰還輸送などにもあたった。
鋼材をリベットで接合した構造の船は現存するものが数少なく、また国産初の大型ディーゼル機関を搭載していることも貴重だ。船内を見学する際には注目したい。
鋼材をリベットで接合した構造の船は現存するものが数少なく、また国産初の大型ディーゼル機関を搭載していることも貴重だ。船内を見学する際には注目したい。
「横浜みなと博物館」は、誰もが港を身近に感じることができ、港についての新たな気づきを得ることもできる博物館だ。これからの物流の在り方と港の果たす役割、そして人々の暮らしとの関りなど、今、学校が進めている「探究的な学習」の課題に取り組む際に役立つ貴重な学習資源がここには豊富にある。港都・横浜での教育旅行に欠かせない訪問先として、ぜひ多くの生徒たちに訪れてほしい。
【問い合せ先】
(公財)帆船日本丸記念財団
横浜市西区みなとみらい2―1―1
TEL:045―221―0280
【問い合せ先】
(公財)帆船日本丸記念財団
横浜市西区みなとみらい2―1―1
TEL:045―221―0280